音楽:『アナスタシア』より 「ワンス・アポン・ア・ディセンバー」
Once upon a December (ANASTASIA)


絵画:アーニョロ・ブロンズィーノ 「コジモ1世の私生児 ビアの肖像」
Agnolo Bronzino, Bia, Illegitimate Daughter of Cosimo I de' Medici, 1542.


Tara Lipinski
1997-98 Short Program



 1998年、日本で開催された長野オリンピック、オリンピックの華、フィギュアスケートでは、女子の優勝は、15歳のタラと、17歳のミシェル・クワンの、アメリカの天才少女2人の一騎打ちとなりました。

 当時、タラは15歳。「ピーター・パン」に出てくる妖精ティンカー・ベルのような、可愛らしいスケーターでしたが、前年の1997年の14歳の時、世界選手権で優勝していました。
 彼女の“タラ”という名は、名作映画『風と共に去りぬ』の、主人公スカーレット・オハラの故郷タラから取ったそうです。
 小柄で細いせいか、年齢よりも更に幼く見えましたが、ジャンプは高く正確で、ずっと笑顔ですべっているのは、既にプロの風格さえありました。
 長野オリンピックで彼女の優勝が決まった時は、嬉しさのあまり、歓声をあげて、飛び上がって喜んでいました。

 このまま成長していたら、どんな選手に成長していたのでしょうか?
 オリンピックの後、タラは引退してしまいます。
 やはり幼い愛らしい容姿をしで、ソルトレイク・オリンピックで不本意な成績で終わったため、競技を続けてくれたサーシャ・コーエンの可憐な演技の数々を見ると、時の止まったままの少女タラをふと思い出すことがあります。

 長野オリンピック直後に、代々木で「メダリスト・オン・アイス」という、イベントが行われ、私も行きました。
 オリンピック直後なため、選手たちは全員、大人気で、拍手と歓声、花束の中、すべっていました。
 そのイベントでは、オリンピックと同じプログラムと、エキシビションを2曲をすべりました。オリンピックのプログラムの方は、男子シングル、ペア、アイスダンスはフリーを、女子シングルの選手はSPをすべってくれました。

 その時に、タラのSP「アナスタシア」を生で見ました。
 とても小さくて、ずっと笑顔で、元気よくすべっていて、金メダルが取ることができて、嬉しくてたまらないのか、普段よりもずっと長くスピンをしていました。

 タラがSPで使用した『アナスタシア』は、1997年のアニメ映画です。
 革命で一家全員が殺されるという悲劇にあった、帝政ロシアの最後の皇帝ニコライ2世の四女、アナスタシア皇女の生存説を、アメリカらしい希望を持った物語として描いた作品です。
 タラは、この映画の中の2曲を使用、前半はこのページに流れている「ワンス・アポン・ア・ディセンバー」、後半は「ジャーニー・トゥ・ザ・パスト」でした。

Journey to the past (ANASTASIA)
(上記、クリックすると「ジャーニー・トゥ・ザ・パスト」が流れます)




ロシア ロマノフ王朝 最後の皇女 アナスタシア
Anastasia Nikolaevna Romanova
(1901-1918?)
The lost Romanov Princess