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音楽:フランツ・リスト 「死の舞踏」
Franz Liszt, Totentanz (Dance of Death), S.126, R.457.

絵画:フランツ・フォン・シュトゥック 「サロメ」
Franz von Stuck, Salome, 1906.

Irina SLUTSKAYA
2005-2006 Short Program



 トリノ・オリンピックでは惜しくも銅メダルとなった、イリーナ・スルツカヤの、2005-2006年のショート・プログラムが、このリスト作曲「死の舞踏」です。この曲で、オリンピックにも挑みました。

 「死の舞踏」は、ピアノ独奏を伴う管弦楽曲で、リストがイタリアのピサにある、カンポ・サント教会の14世紀のフレスコ画「死の勝利」を見て、インスピレーションを得たといわれる曲で、演奏時間は15分ほどです。

 この「死の舞踏」のSPは、スルツカヤが金メダルを取るために、高度な技を次々に入れた、他を圧倒する、迫力あるプログラムでした。衣装は全身黒のパンツファッションで、オレンジのスパンコールを花火のように散らばせてある華やかなものでした

 彼女の演技、生き方、そして彼女自身もが大好きです。
 1998年の長野五輪までは溌剌とした少女という印象で、初めて見た時は、髪はセミロングで赤い頬が印象的で、アルプスの少女ハイジのようと思いました。
 髪を切って、そして1999年の結婚後、がらっと雰囲気が変わって、力強さと迫力を身につけ、コケッティッシュさとキュートさを同時に併せ持つ、素晴らしいスケーターになりました。身長は実は160cmと小柄ですが、迫力ある演技が彼女を大きく見せます。
 2001年に東京で開かれたグランプリ・ファイナルを観にいった時、女子の選手で一番輝いていたのは彼女でした。もともと好きな選手でしたが、この時すっかりファンに。彼女はみごと優勝し、2002年のソルトレイク・オリンピックでの優勝は彼女だと思っていました。
 まさかの転倒で銀メダルとなり、涙をぬぐう姿がかわいそうでなりませんでした。
 その後もお母さんが腎臓病となりその看護に終わり、自身も心臓の病気を患い、今も投薬を続けています。
 2004年、荒川静香選手が優勝した世界選手権では力が出せず9位。でもそれで終わることなく、2005年の世界選手権では優勝、みごとに復活しました。
 オリンピックを控えた2005年のグランプリ・シリーズは中国大会とロシア大会で優勝、2005年12月の東京で開かれたグランプリ・ファイナルで浅田真央選手に敗れはしたものの、翌年2006年のヨーロッパ選手権では7度目の優勝を果たし、彼女がトリノ・オリンピック優勝の最有力候補でした。

 迎えたトリノ・オリンピック、この大会でロシアはペア、男子シングル、アイスダンスで、金メダルをとり、女子シングルで、すべての金メダルを制覇するはずでした。

 ショート・プログラムの段階では2位。1位はアメリカのサーシャ・コーエン選手、3位は荒川静香選手。3人とも良い演技をし、点差は拮抗していました。

 フリーでの最終グループ、イリーナは最終滑走でした。
 最大のライバルで、SPあったアメリカのサーシャ・コーエン選手のミスにより、彼女の優勝が決まるかに思えました。
 ところが思うようにジャンプが飛べず、最初の方で予定していた三つの連続ジャンプのうち一つしか決まらりませんでした。後半に二つの連続ジャンプをもってきましたが、そのうちの一つは2−2になってしまい、転倒もあり3位(優勝は荒川静香選手!)となりました。
 でも点数をしっかりと見つめ頷き、涙を見せることなく、表彰式でも笑顔を見せました。

「自分の演技にはがっかりしたけれど、氷の上では何でも起こりうる。今更もう、何も変えられないわ。それが人生」

 自ら言い聞かせるようにそう言った彼女。
 今シーズンずっと好調で、最終滑走はあまりいいものではありませんが、どの滑走順でも彼女なら大丈夫と、周囲も、おそらく彼女自身も考えていたはず。本来の彼女では考えられないようなミスでした。
 後から知りましたが、体の調子は万全ではなかったそうです。けれど転倒の後も、連続ジャンプを飛び、難易度の高いスピンを見せてくれ、最後まで諦めることのない演技、絶えることなく笑顔を見せました。

 翌日のエキシビションの練習に現れた彼女は、リンクに来たものの練習に加わろうとしませんでした。
 荒川選手を、アイスダンスのナフカ、男子シングルのエヴァン・ライサチェックなどが抱きしめ、祝福します(ライサチェックとは、手をポンポンと合わせて、2人とも可愛かったです)。
 リンクの隅で呆然としたように、黙って荒川選手を見つめるイリーナ。
 目は赤く、泣いているようでした。
 そんな彼女に1人の選手が近付きます。彼女の涙を優しく指でぬぐって、「涙、飛んでいけ」というようにふっと息で吹きました。
 アメリカのジョニー・ウィアー選手でした。彼もまた、SPで2位にいながら、フリーでは自らのミスで5位になっていました。荒川選手の素晴らしい演技を彼は「彼女は美しい。彼女の演技を見て感動しない人がいるでしょうか?」と絶賛しています。一方で、友人であるイリーナに見せた優しさ、短いエピソードだったけれど、とても感動しました。

 エキシビションで、イリーナは笑顔で演技をしました。顔には涙の影もなく…。
 やはり美しいと思いました。
 メダルがどの色であっても、イリーナはとても綺麗。彼女も、彼女の演技も、その生き方も。


 そして、失意のうちに国に戻ったスルツカヤへ、ロシアの国民が向けた言葉は、こうでした。

「イリーナ、ごめんね」

 それは、ペア、男子シングル、アイスダンスが順当に金メダルを取り、女子シングルで全競技制覇だと、国中が盛り上がり、彼女への期待が集中し、“ほほ笑みの女王”と呼び、愛した彼女に大きなプレッシャーと苦しみを与えてしまったことに対してのものでした。
 またマスコミの姿勢も国民と同様のものでした。



フレスコ画「死の勝利」 ピサ カンポ・サント教会 14世紀
The Triumph of Death, Camposanto, Pisa, frescoes, 1340s