音楽:サン=サーンス 組曲『動物の謝肉祭』より 「白鳥」
Camille Saint-Saens, The Swan (Carnival of the Animals).

絵画:ルイ・イカール 「ダンサー」
Louis Icart, Dancer, 1931.

Oksana BAIUL
1994 Olympics Exhibiton




 命を失いつつある白鳥が、必死に力をふりしぼって生に向かって羽ばたこうとします。けれどついに力つき、羽ばたきはとまり、はかなく首をたれ、死んでしまいます。
 その最後の死への抗いを描いたのが、バレエ『瀕死の白鳥』です。

 このバレエは、ロシアの振付家ミハイル・フォーキンが、アンナ・パブロワのために振付けた作品で、1905年サンクトペテルブルク劇場(マリンスキー劇場)で初演されました。
 衣装は、『白鳥の湖』と同じ真っ白なクラシック・チュチュ、胸には血のような赤いルビーをつけていました。
 高いジャンプや回転もなく、水の上をすべるように小刻みに足踏みするブーレだけで、手と腕の動きだけで、湖の小波や鳥の羽ばたきを表現し、飛ぶことのできなくなった白鳥が、もう一度飛ぼうと必死に羽を動かしているように思えます。
 この『瀕死の白鳥』は長い間、アンナ・パブロワの代名詞となっていましたが、1940年代、ボリショイ・バレエ団のマイヤ・プリセツカヤが踊り、当たり役となって、以降50年以上、彼女はこの作品を踊り続けています。

 1994年のリレハンメル・オリンピックのエキシビションで、氷の上で、この『瀕死の白鳥』を可憐に舞った16歳の少女がいました。
 女子シングル、金メダリストのウクライナのオクサナ・バイウル選手です。伝説のバレリーナ、アンナ・パブロワのように真っ白なクラシック・チュチュに、胸には赤のブローチ、小波のような手の動き、とても綺麗で、そこが氷の上だと忘れてしまいそうでした。
 彼女はフリーの演技の前日の練習中、ドイツのタニヤ・シェフチェンコ選手とぶつかってしまい、3針を縫う大ケガをおっての、涙の優勝で、ストッキングの下に包帯が見えました。
 このオリンピックを最後に、オクサナはアマチュアの世界を引退してしまいます。その後は大きな活躍もなく…、彼女を思い出す時、目に浮かぶのはいつも、この最後の「白鳥」の美しい姿です。



Anna Pavlova in 'The Dying Swan'